@article{oai:osu.repo.nii.ac.jp:00000472, author = {多久和, 文則 and 成山, 公一 and タクワ, フミノリ and ナリヤマ, コウイチ and TAKUWA, Fuminori and NARIYAMA, Koichi}, journal = {大阪産業大学人間環境論集}, month = {Mar}, note = {P(論文), まだ病名が付いていなかったHIV/AIDSが,1981年,アメリカで最初にメディアに報じられた時は『Medical Mystery(メディカルミステリー)』として騒がれていた。丁度その頃,多久和は1981年~1982年にかけて米国ネブラスカ大学にバスケットボール留学,成山は1980年からオレゴン大学に居て,当時まだ名前もない原因不明の奇病に取り組む医師団が,宇宙服のような防護服を着てビニールカーテンの中で治療にあたっている様子を現地のニュースで見ていた。この病気がAIDSと病名付けられたのは1982年である。その数年後,世界AIDSデー参加のために来日したHIV感染者やAIDSを発症した人達が,日本の入国審査場で入国を拒否された事件は,インターネットの無い時代であったが即座に世界中に流れた。本報告は,そのようなHIV/AIDS 流行開始時期の1980年代を振り返ってみた。}, pages = {211--222}, title = {`Teen Task Force'によるAIDS教育 : 米国ニューヨーク州の高等学校の場合}, volume = {9}, year = {2010} }